最近は美術館から足が遠のいています。とは言っても我が家では年に数回は行きます。去年最後に行ったのは京都市美術館の「ダリ展」でした。平日に行くことが多いのですが美術館てどこもけっこう見にきている人でいっぱいですよね。昔は2ヶ月に一度くらいは行っていたような気がします。気になった作家や好きな作家のものは住んでいる近畿圏外でもクルマで出かけたものです。
子供がまだ小学生ということもありそれほどまだ「絵画」という物に興味がなさそうなので機会が少なくなっているのでしょう。でもその逆に昔なら行かなかった、でも子供がいるから見に行くようになった展覧会もあります。
例えば「絵本展」です。絵本展では絵本が自由に読めるコーナーなんかもあり新しい発見があります。直売コーナーもあるので、そこで知った絵本作家の本を買って帰ることも多いです。
絵本には独創的な手法で描かれているものが多く感心させられます。ここのサイトのタイトルにあるように、なんでもやってみたくなるボクですのでいつか娘に「娘のための絵本」を完成させたいなと思っています。そのためにはストーリーも大切ですし今までの自分の作風とはかなり違ったものにしないといけないなと思って試行錯誤しています。
「美術館」に行くと作家の熱量に触れることとなり少なからずその熱が伝わり普段は眠っている自分の中にある絵画に対する気持に火がつきます。自宅に帰ってくると油絵の具を眺めたりしますがそれだけで終わってしまいます。自分で掲げた「やりたいことはやってしまおう」精神は間違いではないと思っていますが「やり尽くす」ことの難しさと正面から向き合うことになります。そんな時にいつも思うのは人間(自分)て小さい生き物だなということです。
やりたいことをやり尽くすには人生はあまりに短すぎるということです。昔から周りの人によく「君は器用貧乏だね」と言われました。たぶん人間の寿命がもっと長ければ「器用富豪」みたいな言葉も生まれたかもしれませんね。
多岐の創作分野で高名な創作者でもボクが知る限り大成できている分野は2つか3つくらいです。例えば誰もが知っているレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ・ブオナローティは多岐にわたる分野で才能を発揮していますがどれも「創作」の範囲内です。つまり「音楽」「絵画」「彫刻」「建築」「詩」などなど分野は様々ありますがこれらは全て創作物です。何かの道具と素材を利用して形ある物にするという行為です。ボクもそうですが(ミケランジェロ達とは比べ物になりませんが)「創作」をしていればわかることですが創作は結果(作品)が重要であって経過(方法)は問いません。つまり伝えたいメッセージ(またはイメージ)をより効率よくしかもより優美な方法があるならボクはそれを選択します。ボクは独学で仕事に就いた(フリーになった)ものとしては「イラストレーター」「フォトグラファー」「CGデザイナー」「模型家」などがありますがボクにとっては同じ物(ひとつのもの)です。その表現方法は違っても目指している物は最終的には同一の「メッセージ」です(もちろん仕事なので好きな物を作れるわけではありませんが)。どれが最も自分に合ってる手法なのかも重要になってきます。そろそろ最終的手段を決めて(往生際が悪い)「器用貧乏」から脱皮しなくてはなりません。
そして目指すは「自転車で走れて(人並みはずれての意)。絵も描ける人」なんてことになるのでしょうか。今の生活から考えると非現実的過ぎますが、自転車で世界を回って心にとまった風景を水彩画で残して過ごせることができたなら最高なのですが。
でも夢は持ち続けます(しかも増え続ける)、きっと命絶える寸前まで。
0コメント